No.43
ファクトリー取材の必需品。
革靴誌編集長が愛用するクラッチバッグ。
『LAST』編集長 / フリーエディター菅原 幸裕さん
愛想が良過ぎないモノほど、長く愛され続ける。
それこそが、英国製品の魅力ではないでしょうか。
2003年の創刊以来、世界でも数少ない紳士靴専門誌として、ビジネスマンからモノ好き、コアな革靴マニアにまで支持されている、男の靴雑誌『LAST(ラスト)』。創刊編集長を務める菅原幸裕さんは、革靴に限らず、メンズファッション全般や音楽など、さまざまなカルチャーに精通。ヨーロッパを中心に数多くのモノづくりの現場を取材されたご経験もあり、すぐれた慧眼の持ち主です。そんな菅原さんが、海外のファクトリーなどへ取材に行く際に、必ず持ち歩いているというグレンロイヤルのクラッチバッグ。その魅力について伺いました。
取材を通じて得られる感触は、作り手としての醍醐味。
━『エスクァイア日本版』(エスクァイア マガジン ジャパン発行)で長年編集者をされていた菅原さんが、2003年に『LAST』を創刊されたのはなぜですか?
私がエスクァイア日本版で仕事をしていた2002年頃、世界文化社が『最高級靴読本』というムックを出版しました。その当時エスクァイア マガジン ジャパンの社長であり、後に『LAST』の版元「シムサム・メディア」を始める松崎壮一郎氏と、そのムックを見ながら「革靴だったら、もっと色々できるよね」と、雑談めいた話をしていたのが創刊のきっかけです。それからしばらく経ち、松崎氏が誌名を決めたと言いました。「LASTはどうだ?」と。たしかに面白い名前だと思いました。「木型」というよりも、「最後」という意味で取る人の方が多いので、普通の出版社ならそんな名前を付けたがらない。だって、創刊したのに、最終号のような印象になるじゃないですか(笑)。でも、逆に言えばある層の人たちには一見して革靴の本だと分かる強さがあると感じました。私自身、とりわけ革靴に詳しかったのかと言えば、普通です。創刊の一年ほど前に、縁あって〈ジョンロブ〉のノーザンプトン工場を取材したことがあったのですが、その時の感触や、作ったページの影響はあったのかもしれません。そんな背景があり、「LAST」を創刊することに至りました。LASTの制作において大切にしているのは、丁寧な取材。雑誌は、読者とのコミュニケーションが取れているようでじつは一方向。そこに良さがあると思うのですが、じゃあ内容に関して読者に納得してもらえる感触をどこで得るのかといえば、取材するという過程においてなんです。職人やファクトリーの方、商品開発の方とコミュニケーションを重ねる中で、企画が練りあがり、手応えを感じられるのが、作り手にとっての醍醐味なのだと思います。
日本独自の多様な雑誌カルチャーで、一端を担い続ける。
━『LAST』は現在21号を発刊されていますが、今後の展望があれば教えてください。
俯瞰的な話をすれば、雑誌そのものが厳しい状況に置かれています。ビジネス的にもそうですし、サステナブルが声高に叫ばれている時代で、紙に印刷して販売することに合理性があるのかという問いもあります。その一方で、デジタルコンテンツにしても、この国の現状では化石燃料でつくられた電力をより消費することになってしまうわけです。いまはそれぞれの人が、各々の立場で正統性を主張しているので、雑誌という存在に関して、もっと考察を深めることが重要かもしれません。私が長年雑誌の世界にいて実感していることでもあり、海外の方からもよく言われるのは、日本ほど雑誌が隆盛している国は世界的にも珍しいということです。その文化を絶やしたくはないと常々思っています。『LAST』に対しても、「売れないでしょ」とか「なんでやってるの?」とか、散々言われることもありますが、“日本の雑誌文化”を片隅ででも担い続けることで、海外の人たちから「日本には革靴の雑誌があるんだね」「日本の雑誌シーンって熱いよね」という風に感じてもらうことにはやりがいがある。そう強く感じています。その点においては、今のところ有効な解は継続なので、しぶとく続けていきたいと思っています。それがひとつの展望です。
何もせずに、ただ音楽に没頭する時間が楽しい。
━ここ数年で、ライフスタイルに変化はありましたか?
私は聴く専門ですが、音楽の楽しみ方は以前より広がりました。配信が増えたことで、自宅にいながらさまざまな情報にアクセスできるようになりましたし、オーディオセットに繋ぐとなかなか悪くない音で聴けるので、オンラインライブなども楽しんでいます。インスタライブや、オンライン配信で開催するフェスもありましたし、クラシックも好きなので、「ショパンコンクール」の全編をYouTubeで観ることができたのは良かったですね。その一方で、いまだにフィジカルなライブへは積極的に参加できていないので、直に生演奏を聴きたいという気持ちは募っています。印象に残っているのは、日本のエレクトロニック系バンド「yahyel(ヤイエル)」のライブ。当日は会場の全員をメンバーにして、観客ではなくメンバー全員でリハーサルをするというスタイルを取っていました。もちろん感染症対策はしっかり行い、観客全員のポジションが決まっていて、そこからは動いてはいけないというルールがあったのですが。メンバーの篠田ミル氏がライブスペースの救済を求める「SaveOurSpace」という活動を行っていたことを知っていたので、なるほど、と思いましたね。どのような触れ方でも、音楽を聴いている時間は、自分にとってシンプルに楽しい時間。逆に言えば、仕事をしながら好きな音楽を聴くことは難しいんです。その場合には、仕事が捗る音楽を選んでしまうので、好きな音楽を聴く時間とは少し違ってきます。『エスクァイア』時代に、音楽評論家の黒田恭一さんの連載を担当していたのですが、黒田さんに「いつもどんな風に音楽を聴いていますか?」と、尋ねたことがあります。返ってきた答えは、「音楽を聴いている時は何もできないよ」でした。ちょうど“ながら〜”が流行っていた時で、その状況に乗り切れない自分がいたので、黒田さんの言葉を聞いて非常に納得しました。
純粋さを持つプロダクトに、心惹かれる。
━モノ選びの際に、どのような視点を大切にされていますか?
たとえば、何十年、何百年という単位で同じモノを作り続けているというのは、純粋さの表れですよね。一方でアイディアをそのまま形にしてみましたというのも、クリエイター個人の純粋さだと思います。そういう純粋な部分が少しでも見えていると、手に取りたいなと感じます。本日履いているシューズにも、そういう純粋さがあるといえます。1840年に設立した英国のビスポークシューズメーカー〈フォスターアンドサン〉で、12〜13年ほど前に仕立てていただいたもので、英国の靴づくりの伝統を継承するラスト職人、テリー・ムーア氏に採寸してもらいました。当時の靴好きにとっては土踏まずの部分を極限まで細くする、ベヴェルドウエストが主流だったのですが、テリーさんのこだわりをお聞きして、スクエアウエストにしました。また、デザインもお勧めのフルブローグを選びました。残念ながら、昨年ロンドンのジャーミンストリートにあるお店はなくなってしまったそうです。また復活される可能性はありますが(合併していたヘンリー・マックスウェルは復活しています)、長いヒストリーが閉じてしまうのは悲しいですね。だからこそ、なおさらこのシューズに愛着が湧いてきました。〈フォスターアンドサン〉の靴はもう一足所有しているのですが、二足とも大事に長く履いていきたいと思っています。
海外取材に欠かせないパートナー。
━グレンロイヤルのクラッチバッグを選んだ理由を教えてください。
大学生の頃から英国製品を代表するブライドルレザーのアイテムに憧れがあり、いつか欲しいと思っていました。ただ、当時はデザインが限られていて、色もブラックやブラウンくらいしかありませんでした。グレンロイヤルのことは以前から知っていましたが、財布などの小物よりは大ぶりなバッグの方が多かった印象があります。だから、久しぶりにコレクションを見て、さまざまなモデルがあることに驚かされました。そして、好きなカラーであるグリーンのクラッチバッグを選びました。本日着ているのは、実際に海外のシューメーカーやファクトリーなどを取材する時の格好なのですが、このスタイルに合うというのが選んだ理由のひとつです。たとえば、海外のビスポークメーカーなどへ伺う際には、TPOに適した服装のプロトコル(約束事)があると思うので、色々と考えさせられます。本当はハンドルの付いたブリーフケースの方が良いのかもしれませんが、一方で海外からの旅行者ですし。簡素化しながらも不快感を与えないという意味でも、このクラッチバッグは最適解でした。機能面にも申し分なく、縫い割りがなく一枚革で作られていますし、マチがあるので見た目よりもずっと容量があります。普段持ち歩いている13インチのMacBookAirが入りますし、必要な荷物がしっかり収納できるので、取材で持ち歩くのに重宝しています。ブライドルレザーの質感がなめらかで、手で持っていても洋服に引っかからないのも良いですね。3年ほど愛用していますが、タフな革質に甘えて、ほとんどメンテナンスをせず経年変化を楽しんでいます。革の仕事をされている方は一目でブライドルレザーだとわかるので、話の種にもなります。中には「今なら違うスタイルの方がいいと思う」と、アドバイスしてくれる方もいるんですよ。でも、そこから「着こなしの手がかりをくれてありがとう」と、話が広がっていきます(笑)。
愛想が良すぎないモノこそ、長く愛され続ける。
━英国のプロダクトの魅力は何だと思われますか?
洋服にしても、他のアイテムにしても、日本の製品には「かゆい所に手が届く」ものが多いじゃないですか。一方で、英国の製品はどうかと言えば、100%ユーザーフレンドリーだとは言い切れません。必要以上にやわらかくはなかったり、あまり使いやすくなかったり、3Dのものづくりが広がる時代に、直線的なパターンであったり……。でも、不思議なことにそういう愛想が良過ぎないところに惹かれてしまいます。たとえば、伝統的なワックスドジャケットを考えてみてもそうです。近年ではそれでも油分を控えめに、随分と愛想が良くなりましたが、昨今古着屋に並んでいるものの多くは、もともとはワックスでベタベタしていて、匂いもあり使いづらかったはず。英国製品を褒める時の常套句に「長く使われることを念頭において作られている」というものがありますが、私はちょっと疑っているんです。英国には確かに質実剛健をよしとする気風があるとは思いますが、もしかすると作り手は、実はフランス・パリを中心としたヨーロッパで流行していた品々のように、華麗なものを作りたかったのかもしれません。こんなに無骨になってしまったけど、これはこれで便利だよね、という感じだったのではないかなと。そういう経緯で生まれたプロダクトが結果的に長く残り、愛され続けていることこそが、英国らしさなのではないかと、個人的には感じています。
photoKenichiro Higa textK-suke Matsuda(RECKLESS)
『LAST』編集長 / フリーエディター
菅原 幸裕さん
『エスクァイア日本版』に約15年在籍し、長年音楽担当を務める。2003年には男の靴雑誌『LAST(ラスト)』を立ち上げ、現在年2回のペースで刊行(最新号は2021年9月27日発売の第21号)。創刊編集長として、国内外のシューズファクトリー、靴づくりにまつわる文化などを数多く取材。一方、フリーの編集者としてもメンズファッションやカルチャー領域で活躍。雑誌やネットメディア、企業やブランドの刊行物のディレクション、執筆などを手がける。趣味は音楽鑑賞で、現在もポップスからクラシック音楽まで、幅広く渉猟する日々を送っている。
photoKenichiro Higa textK-suke Matsuda(RECKLESS)